下総の国相馬郡の守谷城は鎌倉時代から戦国時代まで相馬氏の居城でした。
相馬氏初代の師常が築城したとの説がありますが確かな史料はなく、次の3名が初代城主の有力候補です。
①『千葉大系図』では3代相馬胤綱の嫡子だった胤継が父の後妻相馬尼に義絶され「相馬郡を分領し守谷城に居する。妙見堂、西林寺を修造」とあります。
②応永2年(1395)以前の作成という「岩松氏本知行分注文案」に「一所 野毛崎村 円城寺豊前守知行、今度北相馬守屋入部」とあり、第7代相馬胤忠も考えられます。
③海禅寺の「中世相馬氏の位牌」の冒頭の名前は第9代相馬胤宗です。 守谷城址

守谷城址